蛸地蔵駅(たこじぞうえき)
- 旧牛滝街道
- 南海岸和田駅
- 大正時代の十六軒長屋
降っていた雨音も遠ざかり、窓を開けると茜雲
のバックグラウンドは薄い青色で、運動不足を
解消しないとね。出かけるってのも自分の機嫌
しだいってどうなの。
旧牛滝街道から南海岸和田駅まで歩きましょう。
自宅から10m程のところに大きな池が二つあっ
たんです。フナの養殖をしていたはずです。冬に
なると青がかった鷺(さぎ)がつがいで羽根を休
めていましたね。日差しに向って広げているんで
す。大きく大きくね。
危険な用水路も沢山引き込まれていて、自宅の横
にも流れてますよ。踏み外して落ちたこともあり
ますからね。洗面台で水が引いていく音がいつま
でも耳から離れないような感じでしたよ。
梅雨の時期には牛のような鳴き声のカエルがうる
さくて眠れない日もありました。その池も住宅地
になっています。ご近所の人も建物もここ2、3年
ですっかり様変わりしました。
こんな教会はあったっけ
現役時って車で走り抜けるだけで、景色は全部
おいてきてしまったんですよね。ただの3Dマップ
だったんだ。
10分程歩いて、南海岸和田駅に着きました。
手前で左へ曲がり蛸地蔵駅まで行ってみよう。
犬の散歩道から離れましたが、道すがら名前も
知らない人達とそれなりに挨拶をしてきたので
すが、この数年で会えないようになりました。
てもらったのですが、物語を半分以上忘れたら
書けないですよね。ここはとばしていいですか。
駅からすぐに海側に歩くと、
十六軒長屋は大正時代の長屋なんですが、今で
も現役なんです。蛸地蔵駅のことを教えて頂いた
方が住んでいるのですが、庶民の暮らしも伝えら
れてきたのは嬉しいです。
岸和田城を抜けて帰ろうかな。
マンサ─ド風屋根がある庶民の長屋も大正モダン
だったんですよね。もちろん現役なんです。
慶応三年十月 徳川慶喜が大政を奉還し、天下
は御一新して大政は朝廷に復した。岸和田の
岡部家は参勤交代制度で江戸にお勤めで、明治
の社会で活躍されたようです。
背伸びをしても天守閣にも、明治·大正時代にも
届きませんよね。
旧寺田財閥 寺田利吉の別邸 茶屋
詳しいことはわかりませんが、今は岸和田市が
管理していて、食事もできますよ。
大正時代の建物と言えば旧四十三銀行、今は
成協信用組合が海側にありますよ。
近代日本建築の辰野金吾と言われてますが。
ちょうど1時間半の運動でしたよ。
こっちは混むからここで右折しておこう。とか
この時間帯はこの道はとんでもないとか、そう
いうものが当たり前でした。
若い頃は少し前かがみになって大股で勢いで進
みますよね。性格も自己中心であまり他の話し
を聞いてはいるが実は受け入れない。だいたい
そうだと思いませんか。それが弱点だなんて誰
も気がつかないですよね。そういうことを嫌っ
てはいるが自分のことだったとはね。
景色をおいていったんですね。熱いものに溢れ
るという感じではないんやけれど。