1977年の台湾
- DC-8機
- フジカシングルエイト
- 可愛いいガイドさん
当時、ツアー人数が集まらず、中止になったことを
担当者から連絡があり、手持ちのパンフレットとは
異なる、手書きの観光日程を渡され、何かわからな
い不安よりも、初めての飛行機に神経の高ぶりを押
台北の空港で、私達(友人と二人)を最初に見つけた
のは、さして必要のない日本語を話す輩でした。
小さな◯◯酒店に、友人とは違う部屋に放り込ま
れ、危ないとやっと気が付いて、フロントにて
知っている英語にて事情を説明し、日本のツアー
会社と連絡がとれたという苦い思い出があります。
竜山寺とか、総統府とか、そんな場所を巡ったよう
な。しかし逆に手書きの日程はその辺にしてもらい
、◯影院(映画館)や保◯球◯(ボ─リング場)で地元
のガイドさんと遊びに行きましたね。
映画館では階段が急坂で席も多く、そのうえに暗く
て、人もいっぱいなんで座るのに大変でしたよ。
ボ─リング場ではスコアをつける女性が各レ─ンに
いて、ストライクをとると一緒に喜んでくれるので
嬉しさが倍増でしたね。
フジカシングルエイトって知っていますか。
私にも写せます。
こんなフレ─ズで売り出した8mmフィルムです。
1本で3分程度の録画で、写真屋さんに現像して
もらって映写機で投影して見る。動画を撮影する
習慣がなかったので、散々な台北記録です。
バスで市場や繁華街、露店や喫茶店、ディスコも一緒に行きましたよ。
ガイドさんの学生寮で昼食も頂きました。
仲良くしてもらいましたね。
ガイドさんですが、この画像はいらないですね。
時勢はバブルが到来するずっと前で、何もかも
手書きでゆっくりと進んでいましたが、台湾は
さらにもっとさかのぼっているように思えた。
ただ一つ、行く先々で女性の働き手が沢山いる
なあって感じた印象を覚えています。